2011年8月10日

2011原水爆禁止世界大会へ参加して(2011.8.6)

核兵器のない平和で公正な世界のために

神奈川から多くの仲間が参加しました

相模原支部から、3人の代表を現地へ送り出しました。

【平和担当役員 給排水配管業 58歳】
 原水爆禁止世界大会へ送り出していただいてありがとうございます。被爆者が話してくれた原水爆の被害の実相をはじめ、行く先々で被爆したときの状況をうかがうことができました。爆心地にある公園に立ったとき、この空のうえで原爆が爆発したんだと見上げる空に真っ赤に燃える火の玉を見る思いがして、自分がこの地に立っていたらすべて焼きつくされてしまうんだと想像すると自分も原爆の火炎に焼き尽くされたような気持ちなりました。

 爆心地から500メートルのところに城山小学校があります。原爆が投下された瞬間に1400名の児童が原爆の火に焼かれ亡くなりました。児童の火葬は校庭でおこなわれたそうです。校庭の片隅には児童の死を悼む母の思いを込めて植えられた桜の木が大きな枝をのばしていました。児童の遺骨が混じっているであろう校庭に立っていたら、涙がながれ怒りがこみあげてきました。

 原水爆禁止世界大会には世界各地の被爆者や原水爆廃絶のために活動している人たちが集まってきていました。66年前に犠牲になった人々の命と人間としての尊厳は、日本と世界の人々の反核平和の運動の中で生かされていると思います。長崎にきて多くのことを学ぶことができました。送り出していただいた組合員のみなさんに少しでも返していけるように努力していきたいと思います。ありがとうございました。

【墨出し大工業 37歳】
 今回、初めて原水禁世界大会に参加させていただきました。カンパにご協力いただいた方々、本当にありがとうございました。たいへん貴重な経験をすることができました。大会に参加し、思ったこと感じたことを、報告します。

 世界大会とあって、当然の事ながら、各国の代表の方々が大勢参加していました。原水爆も当然ですが、3月11日の東日本大震災によって起こった福島の原発事故に高い感心がありました。これは今大会の大きな特徴ではないかと感じました。

 分科会では、『青年のひろば』に参加しました。会場に行き、驚いたのが、自分よりはるかに若い10代、20代の青年が積極的に参加している姿を目にした事です。約40班程に分れ、被爆体験者の方の話しを聞き、討議するのですが、自分の参加した28班の班長は神奈川県の大学生でした。班長に立候補したそうです。他の方々も色々と勉強し、熱い思いを持って参加していました。福島県からの参加者もいました。

 被爆体験者の話も、直接聞ける機会は今まで無かったため、非常に有意義な時間でした。峰徹さんという『語りべ』さんでしたが、この方は9才の時、爆心地から2・5キロメートル離れた場所で被爆したそうです。看護の為に長崎に入り『二次被爆』してしまったという方もいました。『語りべ』さんは、高齢化が進み、人数が減ってきているそうです。かなり深刻な問題で、我々が被爆者の生の声を聞ける最後の世代です。後生に伝えていく事が段々と難しくなっています。

 地元の20代の方ともお話をしました。長崎では、小学校1年生からずっと道徳の授業で原爆について学ぶそうです。原爆資料館などに行き、生々しい写真や映像を、6才の子供が見て、教育を受けているとの事でした。

 我々はどうでしょう。8月の原爆・終戦の日、沖縄県の基地問題、福島の原発事故など、テレビやラジオ、新聞で取り上げられなくなると、気持ちが薄れていってはないでしょうか。自分はそうやって生きてきてしまいました。

 今回この世界大会に参加し、自分の甘さを痛感しました。もちろん全ての事に携わってはいけませんが、横須賀にアメリカの原子力空母や潜水艦が配備されているこの神奈川県に住んでいる私は、先人の犠牲を無駄にしない人生を送り、次の世代に住みやすい地球を造ることに少しでも貢献していきたいと思います。

相模原支部からは3人を代表団に派遣

【2011年8月10日】

Copyright (C) 2007 神奈川土建相模原支部 All rights reserved.